地元クリニック受診(術後6日)
6月26日
今朝も朝のウォーキング。
昨日より少し早いペースで同じコースを歩いてみた。
やっぱり朝は清々しい。
帰ってきて脈を測ると100程度。ぼちぼちかな。
今日は地元のクリニックへ手術の報告と薬を処方してもらう日。
妻と一緒に家を出て、クリニックへいく途中のツタヤで妻を降ろして自分だけクリニックへ向かう。
ツタヤにはタリーズコーヒーが併設されているので、私がクリニックに行っている間、そこでお茶して待っててもらい、診察が終わったらピックアップして一緒にランチをすることにした。
群馬県立心臓血管センターからのお手紙では、肺静脈と上大静脈、三尖弁のところを焼灼したということが書かれていたとのこと。手術前の説明と同じ。
聴診器で聞く限り、脈のリズムもいいということでひとまずOK。
プロノンとリクシアナを28日処方してもらい、次回7月23日の予約をしてクリニックを後にした。
その後、ツタヤに行って妻をひろいランチへGO。
今日も暑い一日だったが、梅雨はどうしちゃったのだろう。
天気予報でもこの先、当分傘マークがついていない。
梅雨明けか?
今日から朝の散歩(術後5日)
6月25日
今朝から朝の散歩をすることにした。
いつも会社へ行くときは5時起きをしていたので、同じ時間に起床しお茶を一杯飲み、バナナ1本を食べて出発。
今日はあまり早く歩かず、いつもだったら25分程度で歩けるところを、40分かけてゆっくり歩いた。早朝ということもありとても爽やか。
脈拍は110くらいまで上がったと思う。
だが歩いている最中、脈の乱れは一切なし。
午前中はブログを書いたりして静かに過ごす。
昼食後しばらくして何回か期外収縮が出た!!!みんな単発。
あまり気にしないようにしようと思っても、術後だけに期外収縮を感じると!!! どうしても気になってしまう。
まだ心臓に火傷を作ったばかりだからね。回復はまだまだこれから。
それにしても入院前に発注した心拍計がまだ届かない。
中国製を取り寄せているから仕方ない面もあるが、退院してから脈拍は気にしておきたいので到着が待ち遠しい。
さて今日は何をしようか(術後4日)
6月24日(日)
昨夜、しばらくの間メルカリに掲載していたレゴが売れた。
今日はその発送をしなくては。
ちょうどいい大きさの段ボールがなかったので、ジョイフル本田へ行って適当なサイズの段ボールを探す。
店内をうろうろしてみたが、息が上がることはなく、普通のスピードでの生活動作では問題がなさそうな感じだ。
今週1週間、会社は休みをとってあるし、まあゆっくりリハビリすればいい。
今日も脈拍は95程度。少し早い。
久しぶりに外を歩いて気分が良かった。
家に帰ってみて(術後3日)
6月23日(日)
今日は朝からのんびり。
食事のあと、息子とゲームをして遊ぶ。
一週間前も同じような過ごし方をしていたな......
病院から帰ってみると、病院での四日間があまりにも目まぐるしくそして短く感じたこともあって、本当に手術してきたのかと思えてきそうだが、鼠径部の傷が「いいえ、あなたはまな板の上の鯉でした」
と言っているようだ。
お昼頃、妻の両親が私の顔を見に埼玉から来てくれた。
早くも赤飯炊いて。
これから最低3ヵ月は慎重に体を見守っていかなくてはならないので、なんか先に快気祝いをしてもらっているかのようでちょっと複雑。
必ず根治しなくては....
早くも一日にしてもとの食生活に戻ってしまった。
禁酒は続けられそうなので、食生活ももっと意識して改善していかないと。
退院で~す!(術後2日)
6月22日
天気が良く退院日和!
朝ごはん~!最後の病院食。
術後、順調に推移してため予定通り退院となった。
脈拍も少し落ち着いてきたであろうか。
傷口も問題なさそう。先生が来て今後の診察などについて話をしてくれた。
診察は1ヵ月後と3ヵ月後。
昨日の抜糸の際、「遠方なので地元のクリニックで診察でもいいけどどうしますか?」と聞かれたが、やはり手術をしてもらった病院で経過は見てもらいたかったので、迷わず「こちらに来ます」と回答。
ということで次回は7月31日。
荷物をまとめる前にもう一度心電図モニターのところに波形を見に行ったらモニターには洞調律の表示が出ていたのでちょっと安心。
それにしても多数の患者さんがいて心電図の波形も様々。
病室に戻り、荷物をまとめ一旦ラウンジへ。
そこで薬剤師から今後の薬についての説明を受け、看護師から今後の生活面での注意事項を説明してもらった。
ラウンジにはたくさん人が待機していた。また何人も入院するようだ。
やはりこの病院は心臓に関しては有名みたい。
10:30
診断書の依頼と会計を済ませて晴れて退院!
帰ってからの薬は地元のクリニックでお願いするので駐車場でさっそく予約。6月26日の11:30。
そのあとは退院のときの楽しみの一つにしていた”焼きまんじゅう”を買いに伊勢崎にある「くしや」にレッツゴー、家族へのおみやげを買って帰路につく。
12:45
自宅着
あっという間の4日間だった。とても2日前に手術をしたとは思えない。
とても貴重な体験をした。
しなくていい経験ではあるが、自分の人生を語る上でネタが増えたと思う。
今後、この経験を教訓として活かしていかなくては。
↓ こちらのサイトもぜひご参考に
入院にかかった費用などをまとめてあります。
気分は上々!(術後1日)
6月21日
5:00
昨夜の気分の悪さがうそのように今朝はいたって普通。むしろ気分がいい。
昨日の食事についていた野菜ジュースを恐る恐る口にしてみたが、飲める!
気持ち悪くもならない!
肝心の心臓の方は少し脈拍が早いもののリズムも整っていて問題なさそう。
昨夜、2回ほど期外収縮を感じたが気になるほどではなかった。
血圧 125/85 (血圧少し下がったか?)
8:00
朝食。完食!
おいしくご飯が食べられるって幸せ。
8:30
先生が来て、鼠経部に貼ってあったテープを剥がし(このテープが強力!リムーバーをかけて剥がす)1つ掛けてあった糸を抜糸してくれた。
「出血もないし、問題ないね」
一つひとつ順調に進んでいて一安心。
でもこの強力テープに少しかぶれた!!
9:00
導尿の管が抜かれた!入れるときよりはまだましかな。
やっと自由の身になれるような気分。
試しにトイレに行ってみたら、激痛!
すっかり管に慣れていたからか....
しばらくトイレが憂鬱になりそう。
出歩いていい範囲は、午前中はまだトイレまで。
お昼~!
15:30
心エコーと心電図の検査に行く。
自分でも行けそうだったが、車いすで。
問題はなさそう。脈は早め(95)
心エコーはまだ研修中かのような若い技師さんで、先輩と思われるもう一人の技師さんに手を添えられてプローブの当て方を教えられていた。
がんばって、早く一人前になってね!
病室に戻ってから自分の足でラウンジ(同フロア)まで行き、実家へ状況報告。明日退院できそうなこと、気分はいたって上々だということなど。
夕飯~!
いざ!出陣!その1(手術当日)
6月20日
いよいよカテーテルアブレーションを受ける当日。
一番の手術なので朝ご飯はなし。4時半頃に目が覚めたが、よく眠れたと思う。気分もいいし緊張もしていない。
朝の血圧 135/98
う~ん。やっぱり下が高いな....
「おしっこの管をいれま~す」
男性と女性の看護師さん2人でやってきた。
とうとう来たか!これも辛いことランキングトップクラスだったはず。
看護師さん「はっきり言って痛みを伴います」
私「噂には聞いております」
看護師さん「深く息を吸って、フーっと吐いてください。その間にいれます」
.............!!!!
看護師さん「はい、入りました。これからは勝手に尿は流れますから気にしないで大丈夫です」
うー、なんか常に尿意をもよおすような感じ、こんなんで手術中大丈夫だろうか。
8:50
尿の管に慣れたころ、ストレッチャーが運ばれてきた。
看護師さん「まっしーさん、出発しますよー」
おー!いよいよ出陣じゃ!
病室の入り口のところでストレッチャーの上に横になって出発。
病室のある4Fからカテーテル室のある3Fまで、天井を眺めながら移動。
???どこかで見たような....
あ~!ドラマとかでこういうシーンよくあるな~
じきに手術室の表示のある自動ドアを通過。
思わず左右をキョロキョロして観察してしまう。
明るい室内、たくさんの術衣を着た医師?看護師?
そして自分がカテーテルアブレーションを受ける部屋に到着。
担当の看護師さんはじめ何人かから挨拶と自己紹介をされた。
ストレッチャーからアブレーションをする手術台へ横スライド。
看護師さん「今から準備を始めます。」
心電図をつけたり、胸と背中に4つか5つ電極と思われるシートを貼ったりとせわしなく作業が続く。その間、私は周囲を観察していた。
モニターが6つ。うち1つのモニターに私の心臓のCT画像が写し出されているのがわかった。
ほー。これが自分の心臓か....
ひとしきり用意が整うと、担当の先生が
「おはようございます。がんばりましょうね。」と声をかけてくれた。
いよいよという感じになってくると緊張してきてえづき始めた。
私「緊張するとえづいちゃって」
看護師さん「そうですよね。今から手術って考えたら当然ですよ」
看護師さんのおかげで少しホッとした。
準備が終わったのか、看護師さんの「それでは眠くなる薬が入ります。すぐに眠くなります。」という声が聞こえ、天井を見ていると視界が歪むような回り始めた。
私「うわっ!きたきた!」
看護師さん「そのまま2,3回深呼吸しましょう」
私「スー、ハー、スー、ハ―.......」
2回目までは覚えているのだが、それ以降の意識、記憶がない。
気がついたときは病室だった。
病室の時計が12:25。
もう3時間半たっているのか.....
周囲を見渡すと妻がきていた。
「終わったね。先生から話があったよ。全部焼いたって」
まだ意識朦朧としていたせいもあり、それ以外の会話の内容が頭に残っていない。ろれつも回っていなかったと思う。
ただ気分は悪くなかったので、1時半頃に妻を帰宅させた。
(いざ!出陣!その2へつづく)